撒き散らせ 脳汁ドーパミン

tatsu0eoの日頃頭に浮かんだものの可視化の為のブログ

no.3 祖父

"祖父(そふ) - ある人からみて、父母いずれかの父親、2親等尊属の男性。→ 祖父母、おじいさん" (Wikipediaより引用)

 

祖父は偉大な男だった。

あなたの尊敬する人は、と聞かれたら祖父の名前を挙げるだろう。

 


昨日、時系列順に並んだiPhoneのカメラロールの写真をめくっていた時、遺品整理した際にスマホで撮った祖父の写真たちに目が止まった。今は奇しくも5年前に祖父が亡くなった1月だ。何かの契機かもしれない。

 


祖父は、戦前に十人兄弟の末っ子として生まれ、名前の"義樹"が体現するように曲がったことが嫌いで正義感が強い男に育った。戦後の復興まもない日本という環境や家庭の事情もあり、学の道に進みたかったが断念し、高校を卒業して工場に勤務する。ただ、働き始めてもその思いは抜けず、ある程度になって通信制がある東京の大学に入学、働きながら学を収める。その後、社会に奉仕したいとの思いから一念発起し50歳を越えて町の便利屋の会社を立ち上げる。"死ぬまで働く"という言葉があるが、祖父はまさしくその言葉通りで、生との別れを寒い朝にオフィスで独りで迎えた。

熱心な仏教徒で常にお寺への寄付をかかさず、また、それに限らず色々な団体に寄付をしていた。

 


周りには厳格な人だと聞いているが、孫の私には全くそれを感じさせず、"ただの陽気なおじいちゃん"であった。風呂上がりにはよく自身のでかい腹を叩きながら、ふんどし一丁であたりを歩いて家族を笑わせていた。

ただ常に社会を憂いていた。自分には何ができるか考えていた。

 


私は幸運に恵まれ我儘にも大学で勉強(今考えるとろくにしなかった)させてもらい、色々と知見は得たが、まだ祖父には全然敵わない。死してもなお大きな存在である。実直で頑固だったため、悪く言う人もいたようだが、私は私のフィルターでしか物を言えないので、そこは分からないが、年を経ても凄いバイタリティだ。そうでありたいと思う。自分が何ができるか常に問おうと思う。歳のせいにするのは甘えだ。

 


最後は、遺品にあった日誌と書き留めていた大事にしてたのだろう言葉。自分の死期を意識して書かれた日誌は、最後まで仕事のことで、責任感の強さを感じる。

 


ここまで書いて思ったがやっぱり筋が通っていてイカしてるわ。