撒き散らせ 脳汁ドーパミン

tatsu0eoの日頃頭に浮かんだものの可視化の為のブログ

no.5 結婚

"結婚(けっこん、英: marriage)とは、夫婦になること[1][2]。類似概念に婚姻(こんいん)があり、社会的に承認された夫と妻の結合[3]をいう。後述のように学術的には「結婚」はもっぱら配偶関係の締結を指し、「婚姻」は配偶関係の締結のほか配偶関係の状態をも含めて指している[4]"(wikipediaより引用)

 

去年の11月に初めて結婚式に参列した。

多幸感に溢れ微笑ましい儀式だった。

 


結婚というものについて、いつからか懐疑的になっていた。連日報道される芸能人のスキャンダルに、大学4年の時の両親の離婚、幼い日は漠然とあった結婚のイメージだが、年を重ねるごとに現実的な側面が見えてきて輪郭がハッキリとするとともに影ばかりが目につくようになってきた。

原始のニンゲン的本能からすれば種の繁栄が主目的であるから一夫一妻のシステムはそれに反するのでは、と大それたことさえ考えた。

ただこの頃はその負の考えも徐々に融解し、前向きに捉えるようになってきている。

このシステムは個々人の覚悟の表明なのか、と。そこに人間讃歌を感じる。一生をかけて一人を愛する、というのは美しい。ただ難しい。恐らく皆が自覚している。だからこそ不倫スキャンダルでの離婚を見るとやっぱりかと思うし、老夫婦を見ると微笑ましくなるし同時に尊敬するのだと思う。無自覚にも難しさは感じているはずだ。何も結婚は絶対的なものではなくて、過去の実績から幸福の最大化を目指すべく社会が出した帰結の一つだと思う。時代が変わればガラリと変わるかもしれない。簡単に想像できるものだと、男女比が著しく偏重すると、結婚はあるにせよ多夫多妻制になるはずだ。

覚悟の表明式的側面がある結婚を讃えるのは当然のことだが、ただ一方で離婚のイメージも変わっていけばなと思う。上記したとおり、人の心は移り変わりやすく一度契った結びもほころぶことはある。それを悲観的にだけ捉えるのはどうなのだろうか。離婚した個々人をを非難するだけでなく、結婚という制度自身にも目を向けるべきだ。離婚の大きな原因は結婚だ。強く言いたいのは、結婚も離婚も幸せを掴むために下した決断だということだ。おかげさまで両親共、いまではお互いパートナーを見つけ楽しそうに暮らしている。

最後に、結婚はいいものだとこの文章を書いてる今思う。