撒き散らせ 脳汁ドーパミン

tatsu0eoの日頃頭に浮かんだものの可視化の為のブログ

no.1 ユートピア

"ユートピア(英: utopia, 英語発音: [juːˈtoʊpiə] ユートウピア)は、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作『ユートピア』に登場する架空の国家の名前。「理想郷」(和製漢語)、「無何有郷」(無何有之郷とも、『荘子』逍遙遊篇より)とも。現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであった。"(Wikipediaから引用)

 

皆さんそれぞれが描くユートピアの形があるでしょう。今回はそんなお話。

 

私の思うユートピアは、お金の存在を感じさせない世界。ん?と思うだろうから一つ例を以下に述べるね。

 

先日スーパー銭湯に行ってきた。受付でバーコードのついたリストバンドを渡される。事後会計だから受付ではここまで。館内での金銭の授受はなくバーコードで購買の履歴がとられる。ご飯を食べてピッ、風呂上がり牛乳を飲むために自販機にピッ、マッサージを受けるためピッっと。そして最後に建物を出る時に履歴を参照し累積した金額をペイする。

 

これが物凄い楽で良い意味でも悪い意味でもお金を使っている感覚がないのだ。数字を強く意識することなく、だいたいこんなもんやろ、という感覚で管理する。それでいいと思うわけで。詳しく見たけりゃ履歴に事細かに書かれてるのを参照して。

上述のスーパー銭湯ユートピアはキャッシュアウトのログをとるのみだったが、これにインの機能も持たせると完全な循環型社会が完成する。もちろん労働に対する料金表も用意されており、見合った対価のログがとられる想定だ。

だいたいこんだけ働いたからこんだけ使おう、あれ足りない、もっと働かなきゃ、ん、なんか感覚と違うぞ、どれどれ詳細データを見よう、そんな感覚で生活をできたらなと。

 

と思うのは、ちょっと前からあまり現金が好きではなく。理想の購買の感覚と少し離れてしまい。一度あの金属をじゃらじゃらするとなんだかすり減ってる気持ちがして。使っている罪悪感というか、染み付いたDNAのせいなのか、あの金やら銀やらの金属や偉人が描かれた立派な紙を失うと少し心が痛い。なにも単なる等価交換だというのに。そうやって人々の消費活動をストップさせてるんじゃないかと勝手に懸念してるわけです。

あと現実的な話として、レジの待ち時間(小銭じゃらじゃら系によるものに限る)やATMの待ち時間って無駄じゃない?他に方法あるじゃん、と日常生活思ってて。お金は大事だけど時間ってすごい大事。

ここまで読んだ人の時間を無駄にしないような、何か心にくる文章を書ける人じゃなくてごめんなさいな。つまるところ、楽に生きようぜ、ってこと。

 

以上。